高野山 下見ハイク♪
雨が心配でしたが、、、( ̄▽ ̄;)
なんとか、曇り空ながらも高野山下見ハイクに行っとまいりました〜(;´Д`A
南海電鉄 新今宮駅より紀伊細川駅を目指します
p(^_^)q
めっちゃ、遠っΣ(・□・;)
今日は、希望者様で高野山 町石道コース下見ハイクです(((o(*゚▽゚*)o)))
それでは、行ってみましょう♪
《本日の山行ルート》
南海電鉄 紀伊細川駅→矢立→大門→根本大塔
約10キロほど。
紀伊細川駅到着ψ(`∇´)ψ
ホノボノした雰囲気漂う駅です(#^.^#)
桜が満開でしたよ〜(^_^)v
南海電鉄 紀伊細川駅→矢立を目指します(^○^)
里山に癒されます(๑・̑◡・̑๑)
気温も、小春日和でハイキングに適してました
(((o(*゚▽゚*)o)))
《本日のハイク道を説明》
高野山町石道(こうやさんちょういしみち)は、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道です。弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきました。
国の史跡「高野参詣道」として指定されております。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部です。
矢立茶屋に到着(●´ω`●)
ヤキモチが美味でした(^_^)v
気を取り直して、ハイク開始(*≧∀≦*)です‼︎
袈裟掛け石に到着♪( ´θ`)
《袈裟掛け石とは❓》
弘法大師が袈裟衣を掛けたといわれている石です。この石から先は高野山の清浄結界となります。
「鞍掛石」この石の下をくぐれば長生きするとも言い伝えられていることから「くぐり石」ともよばれています。
一応、、、( ̄▽ ̄;)やってみましたよ〜(;´Д`A
長生き‼︎決定みたいですp(^_^)q
記念撮影も、滞り無く完了m(__)m
押上石で(^_^*)
《押上石とは❓》
弘法大師の母が高野山に入山しようとしてここまで来た時、炎の雨が降ってきたため、弘法大師がこの岩を押し上げて母を庇ったという言い伝えから、「押上石」の名がつきました。その時の、弘法大師の両手の跡も残っているとのことです。
、、、両手の跡( ̄▽ ̄;)
み…見落としました。(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
お約束で、押し上げてみますが、1ミリも動きません٩( ᐛ )و
まだまだ、ハイクは続きます(^。^)
お昼タイムを乗り越えて‼︎
くまモン注意報に、弱冠ビビり…汗
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
再度、気を取り直してハイク開始(о´∀`о)
めっちゃ景色エエですやん♪
今日一番の絶景ポイントです(〃ω〃)
世界遺産街道に、癒されながら歩きます♪( ´θ`)ノ
鏡石に到着o(^-^)o
《鏡石とは❓》
鏡のようにすべすべしている鏡石も、弘法大師ゆかりの石です。花坂の里に12本の角の生えた娘が住み、鏡を見ては泣いていました。通りがかった弘法大師が「12人の子どもを生みなさい。一人生むごとに1本ずつ角が消えます」と教え、その通りになったといいます。
かつては人の姿を映すほどつるつるしていたのでしょう。この石の角に座って真言を唱えると、願いが成就するとも言われています。
大門まで、あと少しで到着です!
最後の難関を乗り越え…
大門に、到着〜╰(*´︶`*)╯♡
♪───O(≧∇≦)O────♪キター
めっちゃ、デカイ。。。( ̄◇ ̄;)
《大門とは❓》
高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。左右には運長作の金剛力士像が安置されています。正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。
ゆるキャラ。こうやくんにも会えましたよ〜(^_^)
豆乳ソフトクリームで、疲れを癒します(*^◯^*)
《大塔》
《金堂》
これまた…デカイ( ̄◇ ̄;)
《六角経蔵》
6回…回してみました(*´∀`*)
《徳川家霊台》
(とくがわけ れいだい)
寛永20年(1643年)に三代将軍・家光によって建立されました。一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物が二つ並んでおり、向かって右が東照宮家康公霊舎(おたまや)、左が台徳院秀忠公霊舎となっています。境内の東端には三代将軍以下および御三家の尊牌堂(そんぱいどう)がありましたが、明治21年(1888年)に焼失してしまいました。
時間の都合上、唯一。。。拝観出来ました∧( 'Θ' )∧
最後は、ケーブルカーにて下山‼︎
高野山下見ハイク♪終了ですp(^_^)q
お疲れ様でした٩(^‿^)۶